2010.3.31

「映画をつくる」

映画監督
山田洋次 氏

京都は日本映画の揺籃の地です。
19世紀の終りごろ、上映されたのも京都であります。映画の歴史はまだ110年程ですが、1950年代は黒澤明の「羅生門」等の日本の黄金時代を迎え、世界の最も尊敬されているのがこの太秦の地での作品でありました。

私は立命館大学の客員教授でゼミナールを受け持っています。芸術は個性的なものです。その基礎を教えることが学校の役割であり、もうひとつはものづくりの人間を見ることも必要だと考えました。身体を動かし実際につくることが大事なんだと考えました。松竹の撮影所と立命館大学とが産学提携して進めることになり、第一号として私が監修して立ち上げ、太秦の商店街の人と語り合ってつくりました。一年半の準備期間を経て低予算で制作を始め、今年の6月に封切られます「京都太秦物語」です。

この映画は入場料金を取りビジネスとして成り立つものでなければいけないのです。総売り上げの半分が映画入場料収入で、あとの半分がテレビ、DVD販売の第二次使用で得られます。これが卒業制作と違うところです。

1895年12月28日、リュミエール兄弟がパリの小屋で入場料1フラン取った日をもって映画の歴史の始まりとしたことでもお解りのことです。その後20年たたない内にチャップリンが出て急成長しました。
映画は半分が芸術で半分が商業であることは宿命であります。

学生にいっしょに作ることで学んでもらうことは映画は集団でつくる芸術であります。専門の仕事を持っているそれぞれが一つにならなければいい作品は生まれません。監督はいいものを作る人間関係をまとめていくのが半分であと半分は技術であります。いい脚本は設計図、いいキャステングは俳優、いいスタッフはカメラマン、照明他が集まれば8割成功だと言われています。あと2割は現場で苦労することです。

初めて監督した時、脚本、キャステングして、いよいよクランクインの時、緊張して、プレッシャーを感じ、師匠の野村芳太郎監督に挨拶に行ったら「大丈夫、君が作ろうと思うな、皆んなでつくるのだ!解らなかったら皆んなに任せよ」と言われた。その時忘れられない言葉に「スタッフを信頼せよ」「信頼出来るのは才能なんだ」と映画づくりの極意を授かりました。

私の若い時は小津安二郎さんは何がいいのか認められなかったが、「トラさん」が外国で評価されて、小津さんの影響があると言われた。その後若い時に解らなかった小津さんの良さが解ってきました。松竹大船で育った伝統が知らず知らずの内に伝わっているのです。

今撮影所がなくなってきました。私のスタッフは全員フリーです。作品が終れば解散です。
そのことが今後の映画づくりの課題であると思います。

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