2022.7.27

「温故知新」
(有)かつらぎ 代表取締役
日得山護国寺勧進橋別院妖怪堂
葛城 トオル 氏

私の母方の祖父・渡辺弥平は着物柄の発案師だった。その影響かもしれないが、私も絵が好きで、嵯峨美大に進み、印刷会社でデザイナーの仕事をした。その後、家業の古物商を継いだが、42歳のとき再びクリエイティブな仕事を始めた。そのテーマの一つが「妖怪画」だ。

妖怪にひかれたのは、必然かもしれない。葛城のルーツを調べると、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)という人物がいて、娘が仁徳天皇に嫁ぐなど、天皇に近しい一族だったようだ。ところが、能の演目「土蜘蛛」には、「汝知らずや 我昔 葛城山に年を経し 土蜘蛛の精魂なり」と土蜘蛛(妖怪)が名乗る場面がある。調べてみると、古代豪族の葛城を「土蜘蛛族」と呼んだことがわかった。それを知って以来、私は「妖怪の子孫」と名乗るようになった。

妖怪の研究をきっかけに、京都の歴史を勉強していくうち、「第二期平安京」に興味をもった。
現在の地図に、平安時代の地図を重ねると、阪急・西京極駅あたりが平安京の西端で、「西京極大路」が南北に走っていた。この大路と、「東京極大路」(現・寺町通り)、北の「一条大路」、南の「九条大路」に囲まれた内側が平安京だ。西半分を「長安」、東半分を「洛陽」と呼んだ。

ところが、平安京ができてわずか70年後に、「長安」が水害で滅びた。治水工事をして堀川が引かれ、東西は鴨川と堀川の間、南北は一条から五条(現・松原通り)までという小さな範囲の「第二期平安京」が誕生した。洛中・洛外、この世・あの世、という概念も生まれた。昔の物語を読み解くには、この歴史を知ることが重要だ。

例えば、一条戻橋で、渡邊綱が茨木童子という鬼(妖怪)の腕を切るという物語がある。この世とあの世の境目「一条」に出現した鬼を退治する、という話になっているわけだ。

『源氏物語』で、夕顔を呪い殺す女性は、六条御息所だ。六条は洛外、あの世だから、当時の読者は、「六条」という名前だけで、すでに怪しい人物だと悟ったことだろう。

昔話や伝説も、着眼点を変えれば、違った真実がみえてくる。私は「起源」と「経過」と「結果」で物事を考えるようにしている。そういう視点で歴史を学び直せば、真実を認識できる、物事に誤りなく対処できるようになる、と考えている。

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