
「マッカーサー記念室(第一生命館)の歴史」 第一生命保険(株)岡崎 誠 君
福永法弘様、平井誠一様のご推薦を賜り、令和6年7月に入会させていただきました第一生命保険株式会社の岡崎誠と申します。歴史と伝統を誇る京都ロータリークラブの一員として迎えていただき、大変光栄に存じます。
さて、本日は数々の「歴史の舞台」となった第一生命館内のマッカーサー記念室についてご紹介させていただきます。
昭和13年、関東大震災による被害を契機に、お客様の重要書類を安全に保管する目的で、地下4階・地上7階建ての日本一堅牢な建物として「第一生命館」が建設されました。
その堅固さゆえに、戦時中は日本軍の司令部として使用され、終戦後の昭和20年には連合国軍総司令部(GHQ)の庁舎として接収され、マッカーサー元帥の執務室が設けられました。
現在、この執務室は「マッカーサー記念室」として保存されており、内装や調度品は当時のままの姿で残されています。
一般公開もされておりますので、ぜひ一度ご訪問いただき、歴史の息吹を身近に感じていただければ幸いです。
「『フィクション』から『ノンフィクション』へ」 京都新聞社 大西 祐資 君
昨年7月、茶道裏千家の千玄室大宗匠、壬生寺貫主の松浦俊昭様の推薦を得て入会させていただきました。
私は小1の1学期に北区から伏見区に移り住みました。周りには暴力団事務所があり、銃撃事件や殺人事件が身近で起きました。理不尽な目にもあいました。でも今思えば、「常に冷静でいる」「人をどこかで疑う」という記者の素養がこのとき身についたように思います。
早稲田大学に進学、演劇を専攻しました。浪人時代に「北の国から」の脚本家・倉本聰さんのエッセイ『いつも音楽があった』を手にしたのがきっかけです。母親は大のドラマ好き。自分もドラマで人を感動させたいと脚本家が夢になりました。
歌舞伎、文楽などを学びました。映画のシナリオを写経のように写すなど、独自に修行。記者に必要な表現力・構成力は大学時代に身につけました。
転機は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。劇場型で新聞を手にどきどきしました。いつしか自分の目で事件を確かめたいとの思いが強くなり、フィクションの脚本家からノンフィクションの新聞記者に方向転換しました。
スピーカープロフィール

岡崎 誠君
第一生命保険㈱ 京都総合支社 支社長
ご出身は「翔んで埼玉・日本三大焼き鳥の町」で有名な埼玉県東松山市です。ご家族は奥様とご長男ご長女で、家族共通の趣味は「温泉」。毎年2、3回はご家族で温泉旅行に行かれるそうです。また、ご本人の趣味はサウナで週に1、2回はサウナに通って、心身のリフレッシュをし、体調を整えておられます。今回のスピーチは、「マッカーサー記念室(第一生命館)の歴史」と題し、元社長室で戦後はマッカーサーの執務室としても使用された第一生命本社社屋についてお話いただきます。1952年の返還から70年以上迎え、様々な歴史の舞台となりました。

大西 祐資君
京都新聞社 代表取締役社長 主筆
京都市でお生まれになり、大学時代の東京での4年間以外は、ずっと京都でお暮らしで、現在は奥様と「妙法」のふもとでお住まいです。ご趣味は、茶道を10年以上継続され、岐阜・富山県境の山岳渓流をホームリバーに毛鉤釣りも嗜まれます。また、文楽鑑賞やゴルフもお好きとの事です。学生時代は、テレビドラマの脚本家を夢見て過ごされましたが、ご就職先は新聞社。