
聖護院は、1090年に白河上皇によって造られた。火災に遭って移転を繰り返したのち1676年に創建の地でもある現在の場所に再建された。皇室、摂家から住職を迎えた歴史をもつ門跡(もんぜき)寺院だ。このように皇室と関係の深い寺という雅な側面がある一方で、聖護院は「修験道」を実践する本山修験宗の総本山でもある。
古来、日本人は山には神が宿ると信じ、その神の世界に入って修行をする人たちがいた。仏教が伝わると、神仏習合の宗教観が生まれていく。仏教の教えが、山で修行する人たちを後押しした。「六根(ろっこん)」―視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感とそれを司る心(意識)―を正しく維持するために、山の中に伏して入り修行をする人たちを「山伏」と呼んだ。
山伏たちの修行は自らのためだけでない。他人を気づかえる心や、山で得た薬草の知識は、里に下りた時に民衆の救済にもつながった。
その山伏がなぜ、絶滅危惧種になっていったのか。理由の一つは、明治政府の出した「神仏判然令」だ。神仏習合のなかでつくられてきた宗教観が壊されたのだ。さらに、明治5年の「修験道廃止令」によって、聖護院の宗派も宗教法人としては無くなった。その71年後、聖護院は修験道の寺として復活したが、かつて2万5,000を数えた聖護院の末寺は現在150まで減った。
その背景には、日本人の「手を合わせる」という感覚が変化したことがあると思う。昔は井戸の水、かまどの火にも神様が宿っている感覚があったが、水道やガスコンロを使うようになって、火や水に神様の存在を感じにくくなった。私たち人間は、便利さと引き換えに、自分の生活を神様、仏様から遠ざけてしまったように思う。「明日も安穏に過ごせますように」と祈る、祈りの基本さえ忘れられつつある。
山伏たちは、六根を鍛え、正しく維持するために、山の中に入って修行をする。山中では山念仏を唱えながら、急な坂を登る。その時に仲間の誰かがほら貝を吹いてくれる。互いに「元気か」と尋ね、相手を気づかうほら貝だ。山伏というのは荒々しいイメージで見られがちだが、実は常に相手のことを思い、自らを反省し、山の中で修行に励んでいる者たちだということを、この機会にぜひお伝えしたい。
スピーカープロフィール

宮城 泰岳 師
本山修験宗 総本山聖護院門跡 執事長
積善院凖提堂 住職
1960年 京都市生まれ。平安高校、花園大学仏教学部仏教学専攻科をご卒業、本山修験宗学寮をご卒業されました。1986年本山修験宗本庁・聖護院に奉職された後、1996年積善院住職、2011年本山修験宗・庶務部長、2017年聖護院・執事長にご就任されて、現在に至られます。これまでに葛城修行26回、大峰奥駈修行を46回満行され、インド仏跡を4度巡拝されました。お好きな言葉は、「創意工夫」「一心欲見仏」「虎視牛歩」。ご趣味は、「物作り、壊れた物の修理」だそうです。