最近大きな印象を受けた事は、京都に文化庁が来るというので京都駅にて知事、市長、担当者などと大宗匠を交え話し合いの場を設け、その時に大宗匠は「日本文化の重要な一要素である茶道を勉強して文化を語ってほしい」という趣旨の話をされた。
以前卓話をさせていただいた時、一番強烈に思った話の一つとして、堀場さんから「何をしてるのや?」と聞かれ、「きものを染めてます。」と答えると「人間生まれてきて死ぬまで絶対必要なものがあるのだが、その中にあなたの仕事は入ってないな~」と言われた。私が思うに必要なもの以外でも大切なものがある。音楽、お花、お茶、美術工芸など。工芸の世界では陶芸、染色、木工、金工 ガラスなど、こういう表現をしているのは日本だけだと思う。油絵と日本画と彫刻は美術学校の教育では別にしている。美術学部は絶対自然を前提にして教育している。自然が一番美しいもので、美術は美しくなければならないというのは基本です。日本の工芸は地方の違い、流儀の違いなどいろいろあり、分野を分けなければ収まらない。漆などは自然の塗料の中で最高のものであるが、塗りものは現在日常生活に縁のないものにかわってしまった。京都には良い材料、手本がある。また京都には名品名作がたくさんある。昔は引き出物などに作られていた塗り物だが、生活様式が変わった事は大きな問題だ。
堀場さんに「こういう道具とか物があるのは人間だけですよ。」と話をしたら「生まれて死ぬまで必要なものを抑えながら色んなことを考えて生活していくヒントにならないか。」と言われた。
すべての工芸は京都にあります。陶芸の中で土で作る陶器と石で作る磁器は違う、染色では織と染めは全然違うといつも感じている。ヨーロッパにはありません。
日吉ヶ丘高校が銅駝高校になり京都市立芸術大学とともに京都駅の東側に移転開校した。皆様方の寄付協賛のおかげです。美術学校の学生は9割を女性が占める。それまでは女性に教育をしていなかったが、男女の格差がなくなった時代になった。
生活様式が変わったため、作るものも変わってきた。これからは逆に必要でない仕事をやった方が面白いのではないかと言いながら毎日を過ごしております。
スピーカープロフィール

羽田 登 君
京都工芸美術作家協会 理事長
1938年、京都市にお生まれになり、1958年京都市立日吉ヶ丘高校美術コース日本画科をご卒業、1963年には第6回日展にて初入選される。1964年に京都市立美術大学日本画科をご卒業、1979年には第26回日本伝統工芸展友禅訪問着「夕東風」初出品で初入選をされる。1990年の第36回日本伝統工芸展では最高賞である日本工芸会総裁賞を受賞されました。以後、数々の要職をお務めになり、2012年に京都工芸美術作家協会理事長に就任されました。2014年には京都市文化功労者として表彰されておられます。